光明第一保育園沿革

昭和23年1月光明学園開設(後に光明第一保育園)
昭和23年7月児童福祉施設として認可 定員143名
昭和28年5月社会福祉法人多摩養育園設立
昭和28年6月光明第一保育園に改称
昭和39年4月光明ビル完成
昭和41年4月定員143名から199名に定員変更
昭和42年11月入園希望者増加に伴い定員199名から327名に定員変更
昭和46年4月増々の入園希望増加で定員327名から411名に定員変更
昭和61年4月0歳児保育、特例保育開始
昭和62年地域交流事業開始
昭和63年4月定員411名から350名に定員変更
平成23年3月新光明ビル一期工事完成
平成23年12月一時保育開始
平成24年6月新光明ビル完成
平成24年7月定期利用保育開始
平成26年11月創設者生誕100年記念誌発行、記念碑建立
平成27年2月和の園庭完成

あゆみ

創設者である故・足利正明老師は、第二次世界大戦後、焼け野原となった八王子市八木町に帰還。戦後の物資乏しい状況下にありながらもその苦難を克服し、雲龍寺を再建。その本堂を無料託児所として開放しました。昭和23年1月、光明学園(後の光明第一保育園)の誕生です。創設者は、「戦後の復興は児童の養育から」と当時食べ物にも事欠き、救いようのない状況の中、子どもたちに手を差し延べたのでした。

 

そして創設者は、子どもたち一人一人がお釈迦様のように尊い存在であるとし、園庭(寺の境内)には白象の滑り台を設置されました。当時地元では、像の保育園と呼ばれていました。
昭和26年4月には、優良社会事業施設として御下賜金を賜り、その事業御奨励の思召しを受け、ピアノを購入しました。まだ小学校にも設置されていない時でありました。
昭和39年に行われた東京オリンピックに伴い、ここ八木町も区画整理が行われ、光明第一保育園も鉄筋コンクリートのビルに生まれ変わりました。その後時代の要請に応え、昭和43年にはビルの一部を回収し定員を411名に変更。0歳児保育・特例保育・地域交流事業等を展開してまいりました。
平成21年、施設が老朽化したことから建替え事業が決定し、24年に地下1階地上6階建ての新光明ビルが完成。平成27年には園庭を大改築。子どもたちは色々な遊具や様々な場所で、時にはドキドキ・ハラハラしながら遊び、敏捷性、機敏性、判断力、人との関わりを身に着けます。

 

平成の大改築を終えた光明第一保育園は今、樹齢350年のいちょうの木が見下ろす、子どもたちのやすらぎの空間になっています。

今後の展望

新時代を担う無限の可能性を持った子どもたちの、今を充実させ明日を創りだす力を養うため、子どもの基本的生活習慣や生活リズムの育成(子どもの自立支援)と多様な体験、多様な関わり、失敗(葛藤)する経験を通して、自己充実が図れるよう環境を構成し、その子にしかないその子の光を見つけより輝かせることに注力して参ります。
更に、保育園が「地域の大きな家」として、日常的に地域の人々が訪れ、知恵と文化の伝承、交流を通して活力が生まれ、地域住民が家族のように子どもたちを共に育んでいく新しい地域社会を構築するために邁進して参ります。